Googleのロゴが本日も変わっていました。
今日は、幸田文(こうだあや)さんになっておりました。
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そんな、幸田文さんについて、調べてみました。
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幸田文 プロフィール
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%94%B0%E6%96%87
氏名:幸田 文(こうだ あや)
1904年〈明治37年〉9月1日 – 1990年〈平成2年〉10月31日)(86歳に死没)
日本の随筆家・小説家、日本藝術院会員
幸田文 代表作
『こんなこと』(1950年)
『みそっかす』(1951年)
『黒い裾』(1954年)
『流れる』(1955年)
『おとうと』(1956~57年)
幸田文 主な受賞歴
読売文学賞(1956年)
新潮社文学賞(1956年)
日本芸術院賞(1957年)
女流文学賞(1973年)
日本芸術院会員(1976年)
勲三等瑞宝章(1990年,没後)
壮絶な幼少期、波乱万丈な人生
次女として生まれた文は、
5歳の時に母親
8歳の時に長女 を失います。
8歳の時に父親が再婚し、安定しつつも
22歳の時に弟を失います。
また、24歳で清酒問屋三橋家の三男幾之助と結婚し翌年娘の玉が生まれます。
しかし、結婚から8年後、家業が傾き廃業。
そして、1936年、築地で会員制小売り酒屋を営むも1938年に離婚
娘の玉を連れ父のもとに戻ります。
戦時中には、露伴の生活物資の確保のために働き(その一端は青木玉の回想記『小石川の家』(講談社のち文庫化)に詳述されている)、少女時代から露伴にしこまれた生活技術を実践していったようです。
活躍を始めたのは43歳から
文が活動されたのは43歳になります。
1947年、父が死去。父の思い出や看取りの記を中心にした『雑記』『終焉』を発表。
のち『父』、『こんなこと』、1949年には幼少時の思い出を書いた『みそっかす』を連載するなどの随筆集を出版し注目された。
しかし、1950年に断筆宣言[をし、翌年柳橋の芸者置屋に住み込み女中として働いたが、
病のため約2ヶ月で帰宅する。
そのときの経験をもとにして1955年より連載した長編小説『流れる』(1956年刊行)で
1956年に第3回新潮社文学賞受賞、1957年に昭和31年度日本芸術院賞を受賞した。
また、『黒い裾』で1956年に第7回読売文学賞受賞、『闘』で第12回女流文学賞を受賞し1976年に日本芸術院会員となったんだそうです。